時代に翻弄された女性たち――お市の方と浅井三姉妹が暮らした北ノ庄城跡・柴田神社を訪ねて

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織田信長の妹、お市の方。

そして、その娘である茶々・初・江――浅井三姉妹。

戦国時代というと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった武将たちの物語に目が向きがちです。

しかし、その大きな歴史の流れの中で、戦によって何度も運命を変えられながら、その後の日本史にも大きく関わっていった女性たちがいました。

その代表ともいえるのが、お市の方と三人の娘たちです。

お市の方は浅井長政に嫁ぎ、茶々・初・江の三人の娘をもうけます。 しかし浅井長政は、やがて兄である織田信長と対立。 浅井氏は滅亡し、お市の方と三姉妹は生き残ることになります。

その後、お市の方は織田家の重臣・柴田勝家と再婚。 母と三人の娘が移り住んだのが、現在の福井市にあった北ノ庄城でした。

今回は福井を訪れた際に、そんなお市の方と浅井三姉妹ゆかりの地、 北ノ庄城跡・柴田神社を歩いてきました。

現在は福井の街中にある小さな史跡ですが、 ここから豊臣、そして徳川へと続いていく歴史を考えると、 なんとも感慨深い場所なのです。

目次

  • 福井の街中に残る北ノ庄城跡
  • 柴田勝家が築いた巨大な北ノ庄城
  • 信長の妹・お市の方
  • 浅井家滅亡、そして柴田勝家との再婚
  • 北ノ庄で暮らした母と三人の娘
  • わずかな期間で再び訪れた戦乱
  • 生き残った浅井三姉妹
  • 豊臣と徳川へつながっていく娘たち
  • 発掘された北ノ庄城の石垣
  • 柴田神社を歩いて





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福井の街中に残る北ノ庄城跡

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今回訪れたのは、福井市中心部にある北ノ庄城跡・柴田神社です。

北ノ庄城を築いたのは、織田信長の重臣として知られる柴田勝家。

現在は周囲にビルが建ち並び、「ここに戦国時代の大きな城があったの?」と思ってしまうほど街の中にあります。


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近くには観光用の駐車場も整備されていて、私たちも車を停めてゆっくり見学することができました。

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無料で利用できる駐車場があるのは、車で歴史巡りをする身にはありがたいですね。

柴田勝家が築いた巨大な北ノ庄城

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▲城跡には柴田神社があります。

北ノ庄城は、天正3年(1575年)頃から柴田勝家によって築かれたとされる城です。

現地の案内板には、「9層の天守閣を持つ日本最大級の城であったとの記録が残っている」とあります。

現在では城の姿を見ることはできませんが、当時の北ノ庄が越前支配の重要な拠点だったことがうかがえます。

一乗谷から北庄・福井へと越前の中心が移っていく中で、 この場所は現在の福井のまちづくりへとつながる重要な場所でもありました。

信長の妹・お市の方

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そして北ノ庄城の歴史を語るうえで欠かすことができない女性が、 織田信長の妹・お市の方です。

お市の方は、近江の戦国大名浅井長政に嫁ぎました。

二人の間には娘が生まれます。

茶々、初、江。

後に「浅井三姉妹」と呼ばれることになる三人です。

ところが、お市の方の兄・織田信長と夫・浅井長政は対立することになります。

兄と夫が敵同士になる――。

現代の私たちには想像することも難しい状況ですが、 戦国という時代の中で、お市の方はその渦中に置かれることになりました。

浅井家滅亡、そして柴田勝家との再婚

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▲柴田勝家

天正元年(1573年)、浅井氏の居城・小谷城は織田軍によって攻められ、 浅井長政は自害。 浅井氏は滅亡します。

お市の方と三人の娘は生き残りました。

しかし、その後も歴史は彼女たちを静かに暮らさせてはくれません。

天正10年(1582年)、本能寺の変によって織田信長が亡くなります。

その後、お市の方は信長の重臣であった柴田勝家と再婚しました。

そして三人の娘たちとともに移り住んだのが、ここ北ノ庄城だったのです。

北ノ庄で暮らした母と三人の娘

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境内には、お市の方と浅井三姉妹にまつわるものがいくつもあります。

特に印象に残ったのが、茶々・初・江の三姉妹像でした。

現地の説明板にも、天正10年(1582年)、母・お市の方が柴田勝家に嫁いだ際、 三姉妹も北ノ庄城へ移り、この地でともに過ごしたことが記されています。

後の彼女たちの人生を知っているだけに、 三人が並ぶ姿を見ていると、いろいろと考えさせられます。

このときはまだ、三人とも歴史上の「浅井三姉妹」ではありません。

母と一緒に暮らす三人の娘だったのです。

わずかな期間で再び訪れた戦乱

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しかし、お市の方と勝家、そして三人の娘たちが北ノ庄で一緒に暮らした時間は長くありませんでした。


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▲資料館も併設されています。

翌天正11年(1583年)、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉と戦い、敗れます。

北ノ庄城へ戻った勝家。

そして、お市の方も勝家とともに城に残る道を選びました。

北ノ庄城は炎に包まれ、二人はここで最期を迎えます。

お市の方は、最初の夫・浅井長政を戦で失い、 そして再婚した柴田勝家とも戦によって最期を迎えることになりました。

まさに戦国という時代に翻弄された女性だったのではないでしょうか。

生き残った浅井三姉妹

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一方、茶々・初・江の三人の娘は北ノ庄城から生き延びました。

そして、この三人がその後の日本史に大きく関わっていくことになります。

長女の茶々は、後に豊臣秀吉の側室となり、 豊臣秀頼の母となります。

次女の初は、京極高次に嫁ぎます。

そして三女の江は、徳川家康の嫡男で後の二代将軍となる徳川秀忠に嫁ぎました。

江は三代将軍徳川家光の母でもあります。

豊臣と徳川へつながっていく娘たち

こうして三姉妹の人生を並べてみると、そのすごさが分かります。

母のお市の方は織田信長の妹。

長女・茶々は豊臣秀頼の母。

三女・江は徳川秀忠の正室となり、徳川家光の母となりました。

織田から浅井へ。そして豊臣と徳川へ。

戦国時代から江戸時代へと日本が大きく変わっていく歴史の中に、 この母娘の人生がそのまま重なっているようにも感じます。

北ノ庄城で一緒に暮らしていた三人の少女たちが、 やがてそれぞれまったく異なる道を歩むことになる――。

その後の歴史を知ったうえでこの場所を訪れると、 北ノ庄城跡の見え方もずいぶん変わってきます。

発掘された北ノ庄城の石垣

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境内では、発掘調査によって確認された北ノ庄城の石垣遺構も見ることができます。

現地の説明によると、北ノ庄城の石垣は本来もっと高く積まれていたものの、 江戸時代に結城秀康が福井城を築城した際に取り除かれ、 根石を中心に残ったと考えられているそうです。

城そのものは失われても、その下には戦国時代の痕跡が残っていたわけです。

こういうものを実際に目の前で見ることができるのが、 史跡巡りの面白いところですね。

柴田神社を歩いて

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現在の北ノ庄城跡には、柴田勝家を主祭神とする柴田神社が建っています。

境内には柴田勝家像をはじめ、お市の方や浅井三姉妹にまつわるものがあり、 小さな境内ながら戦国時代の歴史がぎゅっと詰まっています。

現代の福井市中心部を歩いていると、 かつてここに巨大な城があり、柴田勝家やお市の方、 そして幼い三姉妹が暮らしていたということを忘れてしまいそうになります。

けれど石垣を眺め、勝家像や三姉妹像を見て歩いていると、 教科書に登場する人物たちが、急に「ここで暮らした人たち」として感じられてきました。

お市の方と柴田勝家が北ノ庄で夫婦として過ごした時間は、 決して長いものではありませんでした。

そして1583年、お市の方は勝家とともに、この地で最期を迎えます。

しかし、母とともに北ノ庄で暮らした三人の娘は生き延びました。

茶々、初、江。

三人はやがて、それぞれの立場から豊臣、京極、徳川の歴史に関わっていきます。

時代に翻弄されながら、それでも次の時代へと生きつないでいった女性たち。

北ノ庄城跡は単なる「城跡」ではなく、 そんなお市の方と三人の娘が、確かに同じ時間を過ごした場所でもありました。

歴史を知ってから訪れると、静かな境内の景色が少し違って見えてきます。

福井を訪れた際には、ぜひゆっくり歩いてみてほしい歴史スポットです。


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