関ヶ原に敗れ、十四年。
山あいの静かな地『九度山』
ここで時を止められた男がいた。
男の名は『真田幸村(信繁)』
一緒に蟄居を命じられた
父、真田昌幸はこの地で無念のうちに亡くなった
そしてある夜、幸村は
誰にも告げず、静かにここを去っていった。
目次
- 九度山という場所
- 真田庵、静かな日常
- 別れの夜
- なぜ何も言わなかったのか
- そして大坂へ
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九度山という場所
和歌山県九度山町。
高野山の麓に広がるこの地は、
賑わいとは無縁の、
時がゆっくりと流れる場所。

真田庵南側の九度山無料駐車場
近くには道の駅もあるので
道の駅から散歩がてら訪れることも可能
観光地でありながら、
どこか日常の延長にあるような風景。
派手さはない。ただただ静かな場所。
沿道に咲く桜が春の訪れを告げていた
真田庵、静かな日常

真田昌幸・幸村親子が過ごした場所とされる真田庵。
戦国の名将が、
十四年を過ごした場所とは思えないほど、
穏やかな空気に包まれている。

真田の家紋
三途の川の渡賃『六文銭』があちこちで見られる
歴史の説明は淡々としている。
だが、その裏にある時間の重みは軽くない。

関ヶ原敗戦後
ここで真田幸村は
14年の月日を過ごした

『勝負は時の運』とはいえ
敗軍の兵には誠に辛い仕打ちが待っている
父子ともども、ここ和歌山・九度山の地に
徳川家康から蟄居(流刑)を命ぜられた
許しがあるまで、
この地をでることができないのだ
そして14年の月日が流れる
別れの夜
その夜、幸村は村人たちと
おおいに酒を酌み交わしたという。
長い年月を共に過ごした人々。
もはや主従ではなく、
生活を共にした“仲間”だった。

長年、一緒に過ごした仲間たちに
別れを告げることはなかった。
夜が更け、酒に酔った人々が眠りについたあと。
幸村は、ひとり静かに立ち上がる。
なぜ何も言わなかったのか
もしだまって幸村を見送れば、罪になる。
逃亡を助けたと疑われる可能性がある。
だから彼は——
誰にも何も言わず、この地を去った。

だが、残された人々は気づいていたはずだ。
その日が来たことを
だから一緒に酒を飲み、大いに笑った
朝になり、姿が消えても——
誰も追わなかった。
別れを悟っていたものたちも
酒に酔って寝たふりをして
心のなかで幸村を見送った
「誰も起きなかったのではない。
起きなかったことにしたのだ。」
仲間たちを罪人にしないために
別れも告げられぬ幸村を想い
静かに涙を流した者もいたという。
そして大坂へ
九度山を出た幸村は、大坂へ向かう。
十四年の沈黙を破り、再び戦場へ。
その後の歴史に語り継がれる
大阪城南の要【真田丸】での大奮戦、
そして最後の突撃。
そのすべては、この静かな土地から始まった。

「この場所には、派手な物語はない。
あるのは、静かな別れだけだ。
だからこそ——
この話は、胸に残る。」
そして『大阪の陣』
その戦いぶりから
徳川方の兵からも
『日本一の武士(もののふ)』と
呼ばれる戦いをぶりを
真田幸村は見せることとなる

👇大阪の冬の陣での激戦地『真田丸』を訪問した記録はコチラ
▲真田の城『上田城』は2度にわたる大軍勢による攻撃を退けた実績ある城です
▲真田家を残すために父子と別れて戦った真田家は松代を統治することとなりました。
松代にも記念館があります。
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