浅井三姉妹をかくまった寺? 実宰院と昌安見久尼を訪ねて

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戦国の悲劇を語るうえで欠かせない存在が、浅井長政とお市の方の間に生まれた三人の姫、茶々・初・江の「浅井三姉妹」です。 今回訪れたのは、滋賀県長浜市にある実宰院(じっさいいん)。この寺には、浅井三姉妹が戦乱の中で匿われたという伝承が残されており、その由来を伝える案内板には、長政の姉に当たる昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)の名も見られます。 現地を歩いてみると、静かなたたずまい、咲き始めた梅の花、そして境内で見かけた徳川家の三つ葉葵の家紋など、歴史のつながりを感じさせるものがいくつもありました。 この記事では、実宰院に残る伝承と現地の雰囲気、そして浅井三姉妹、とくに徳川二代将軍秀忠の正室となり、三代将軍家光の母となったお江との関係をわかりやすくまとめます。

目次






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実宰院と昌安見久尼の由来

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実宰院は、鎌倉以前の創建とも伝わる古い寺で、もとは「実才庵」と称し天台宗であったものが、後に小谷山実宰院と改められ、曹洞宗に属するようになったと案内板には記されています。 この寺の由来として語られているのが、浅井家二代目・浅井久政の長女である阿久姫の存在です。阿久姫は仏道修行を志して出家し、昌安見久尼と名乗ったと伝えられています。そして父・久政が、天文11年3月5日に当時無住となっていたこの庵を再興させたとされています。 つまり実宰院は、単なる古寺ではなく、浅井家の女性たちと深い縁を持つ寺として、地域の中で記憶されてきた場所なのです。

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浅井三姉妹が匿われたという伝承

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現地の案内板でも特に印象的だったのが、浅井長政とお市の方の間に生まれた茶々・お初・お江の三姫に関する記述です。 案内板には、三姉妹は戦国の乱世、この庵に匿われ、さらに浅井家終焉の際には尼自らが養育するところとなった、と伝えられていることが紹介されていました。 この伝承が事実そのままであったかどうかは慎重に見る必要がありますが、少なくともこの地では、実宰院が浅井三姉妹を守った寺として長く語り継がれてきたことがわかります。 また、当時村人たちは幼い姫たちの悲しみや寂しさを村の行事の中に誘い、分かち合ってなぐさめたとも伝えられており、戦乱の中で地域が姫たちを支えたという、あたたかい記憶も残されています。

「法衣の下に隠した」逸話は史実なのか

浅井三姉妹について語られる逸話の中には、「尼僧が法衣の下に姫たちを隠して守った」という印象的な話があります。とてもドラマチックで心に残る話ですが、今回確認した現地の案内板には、その表現までは記されていませんでした。 現地伝承として確認できるのは、あくまでこの庵に匿われた、あるいは尼が養育したという内容です。 そのため、「法衣の下に隠した」という話は、寺に匿われたという伝承をもとに、後世に物語として膨らんでいったものと見るのが自然でしょう。 とはいえ、立地や、女性や子どもを守る場としての寺の役割を考えると、戦乱の中でこうした保護が実際に行われていても不思議ではありません。史実と伝承の境目にある、いかにも戦国らしいエピソードだと感じます。IMG_3388

境内で見つけた徳川家の三つ葉葵

今回の訪問で非常に興味深かったのが、境内で見かけた徳川家の三つ葉葵の家紋です。
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最初は浅井家ゆかりの寺なのに、なぜ徳川の家紋があるのだろうと思いましたが、考えてみるとその理由はとても象徴的です。 浅井三姉妹の末娘・お江は、のちに徳川秀忠の正室となり、さらに三代将軍・徳川家光の母となりました。つまり、お江は徳川将軍家の母とも言える存在です。 そう考えると、実宰院が浅井三姉妹、とくにお江ゆかりの地として後世に意識され、徳川家とのつながりを示すものが残されたとしても不思議ではありません。 浅井家は滅びましたが、その血は豊臣、そして徳川へとつながっていきました。境内の三つ葉葵は、まさにその歴史の流れを静かに物語っているようでした。

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▲近くにある浅井家の城『小谷城』
のぼりに描かれているのが浅井家の家紋です
仲睦まじい浅井長政と
お市の方(織田信長の妹であり浅井三姉妹の母)の
夫婦が描かれています


難攻不落の山城『小谷城』を歩いてきましたよ!道の駅と合わせていかれることをお勧めします!


現地を訪れて感じたこと

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実際に実宰院を訪れてみると、落ち着いた山門と木造の本堂、境内に咲く白梅や紅梅がとても美しく、乱世の記憶を包み込むような静けさがありました。 こうした場所に立つと、戦国史は単なる武将同士の戦いだけではなく、その陰で不安な日々を過ごした女性や子どもたちの歴史でもあったのだと実感します。 華やかな「浅井三姉妹」という名前の裏には、父を失い、母とも別れ、戦乱に翻弄された幼い姫たちの姿があります。実宰院の伝承は、そうした彼女たちの弱い立場と、それを支えた人々の存在を思い出させてくれます。 そして、境内に咲く梅の花は、厳しい冬を越えて咲く花らしく、どこか三姉妹の数奇な運命とも重なるように感じられました。

まとめ

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実宰院は、昌安見久尼の名とともに、浅井家の女性たちとの深い縁を伝える寺でした。 現地に残る伝承では、浅井三姉妹はこの庵に匿われ、尼によって養われたとされています。一方で、「法衣の下に隠した」という有名な逸話は、そうした伝承をもとに後世さらに物語化されたものと見るのが自然でしょう。 また、境内で見られた徳川家の三つ葉葵は、浅井三姉妹の末娘・お江が徳川二代将軍秀忠の正室となり、将軍家の母となったことを思い起こさせるものでした。

浅井の悲劇、尼の庇護、そして徳川へとつながる血筋。実宰院は、そうした歴史の流れを静かに今へ伝える、非常に印象深い場所でした。


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