大阪の陣最大の激戦地 ― 真田丸出城跡を歩く

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大阪市天王寺区に残る歴史遺構「真田丸出城跡」。
戦国時代最後の大戦・大阪の陣において、
徳川軍を震え上がらせた大阪城の
『伝説の防御拠点』がこの地にありました。

今回、実際に現地を歩きながら、
真田丸の役割、真田幸村という武将の魅力、
そして真田家の戦略と大阪の陣の流れを
歴史散策の視点からまとめてみました。

歴史好き・戦国ファンなら一度は訪れてほしい場所です。

目次

  • 真田丸とは何か
  • 真田幸村とはどんな武将か
  • 真田家という一族の戦略
  • 大阪の陣の流れ
  • 現地を歩いて感じた歴史の臨場感


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真田丸とは何か

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古文書に残された真田丸の姿
真田丸が半円形(三日月形)の理由は、
武田流の「丸馬出(まるうまだし)」という
防御・攻撃の構造を採用したためです


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真田丸とは慶長19年(1614年)、
大阪冬の陣の際に豊臣方の武将・真田信繁(幸村)が
大阪城南側の防衛のため築いた出城です。


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小高い丘となっている
『大阪明星学園 明星中学校・高等学校』のあたりが
真田丸のあった場所と伝えられています

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目の前の坂は『心眼寺坂』と呼ばれています


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心眼寺坂と
『大阪明星学園 明星中学校・高等学校』から
北の大阪城本丸方面を望む



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真田の六文銭と豊臣の五七桐の描かれた真田丸顕彰碑

三日月形の独特な構造を持つ曲輪で、
敵軍を包み込むような地形を活かした防御拠点でした。
この砦からの鉄砲射撃は非常に効果的で、
徳川の大軍は攻めあぐねることになります。


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現在の空堀商店街からJR玉造駅方面に造られた
惣溝の空堀の外側にあった『笹山』という丘陵地に設けられました

真田丸は大阪冬の陣における最大の激戦地となり、
豊臣方にとって象徴的な戦場となりました。


▲真田の城『上田城』は2度にわたる大軍勢による攻撃を退けた実績ある城です


▲真田家を残すために父子と別れて戦った真田家は松代を統治することとなりました。
松代には記念館があります。


真田幸村とはどんな武将か

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真田丸のあたりにある『心眼寺』



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ここには『真田幸村 出丸城跡』と刻まれた石碑があります


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門扉にも真田の六文銭が描かれます

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真田家の「六文銭(ろくもんせん)」は、
三途の川の渡し賃(仏教の「六道銭」)に由来し、
戦において「いつでも死ぬ覚悟がある」という
不退転の決意を家紋に込めたものです。

真田幸隆が採用して以降、
真田家が命を惜しまず戦い抜く強い決意(死生観)を
敵に示す象徴でした。



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真田幸村(本名・信繁)は、
戦国時代屈指の知将・勇将として知られています。


父は名将・真田昌幸。

兄の信之は関ヶ原で徳川方につきましたが、
幸村は最後まで豊臣家への義を貫きました。


大阪夏の陣では赤備えの軍勢を率いて
徳川家康の本陣へ突撃し、
あと一歩で天下を動かすほどの戦いを見せました。

その壮絶な最期から、
彼は「日本一の兵」と称えられるようになります。



真田家という一族の戦略

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真田家は信濃の小大名ながら、
巧みな外交と軍略によって

戦国の荒波を生き抜いた一族です。

強大な武田・上杉・北条の間で勢力を保ち、
関ヶ原では兄弟が東西に分かれるという
一族存続を最優先した戦略を取りました。

戦に強いだけでなく、
状況を読む冷静な判断力を持つ家であったことが分かります。



▲二度に渡る徳川軍勢からの攻撃を防いだ

真田の城『上田城』についてはコチラ‼️

大阪の陣の流れ

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北側から見た大阪城
真田丸は大阪城の向こう側になります
真田丸のできる前は大阪城の南は
守りが手薄と考えられており
そのため真田丸が儲けられました

「大阪の陣」は徳川幕府と豊臣家による
天下最後の決戦でした。

冬の陣(1614年)

  • 徳川軍が大阪城を包囲
  • 真田丸の奮戦により徳川軍は大苦戦
  • 和議成立により大阪城の外堀が埋められる
  • 真田丸もこの時取り壊された

夏の陣(1615年)

  • 徳川軍が総攻撃を開始
  • 各地で激戦が展開される
  • 幸村は家康本陣へ突撃し戦死
  • 豊臣家滅亡
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南東側(真田丸側)から見た大阪城



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真田丸方面から見た大阪城
巨大な堀に圧倒されます


この戦いによって戦国時代は完全に終焉し、
江戸幕府による泰平の時代が始まることになります。






▲大阪の陣の原因となったと言われる『京都大仏』と『方広寺』についてはコチラ‼️

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方広寺の鐘に刻まれた文字が『家康』を
半分に切る呪いと捉えられ大坂の陣へと

発展したのです

▲関ヶ原の戦いで豊臣方に着いた真田昌幸・真田幸村親子は家康から和歌山県・『九度山』で蟄居を命ぜられます。14年もの年月の間に父昌幸は無念のうちに亡くなりますが幸村はここから静かに『大阪の陣』へと旅立ち再び『真田丸』にて徳川軍と対峙することになるのです。

九度山には真田ミュージアムがあります。

現地を歩いて感じた歴史の臨場感

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現在は真田山公園と呼ばれる公園となっています



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真田山プールのあたりも
丘陵地になっていることが良くわかる場所です



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看板にも真田幸村が描かれています
真田の六文銭の旗印も至る所で見られます


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『三光神社』




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真田幸村像があり


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真田の抜け穴を見ることができます



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『真田の抜け穴』

大坂の陣で真田幸村(信繁)が築いた
出丸「真田丸」から大坂城へ通じていたと
される地下道跡です。

幸村公の像の隣に石組みの跡があり、
勇猛な戦いぶりを伝える伝承地として人気です。

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和歌山県九度山にある『九度山・真田ミュージアム』には
『真田の抜け穴』が再現されています


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九度山・真田ミュージアムにある『真田の抜け穴』

九度山は関ケ原の合戦の後 
真田幸村らが蟄居を命じられた土地なのでした
九度山は再び「大坂の陣」で日の目を見るまでの
14年の間、真田幸村が静かに反抗の日を待った土地でした





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現在は住宅地や公園となっていますが、
地形の起伏や道路の曲がり方を見ると、
ここが防御拠点だったことがよく理解できます。



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史跡案内板や真田幸村像を巡りながら歩くと、
かつてこの地で繰り広げられた激戦の緊張感が
静かに伝わってくるようでした。



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歴史は現地を歩くことで、
より立体的に理解できるものだと実感しました。
大阪城観光とあわせて訪れることをおすすめします。


▲徳川の大軍勢を2度も防いだ真田の城『上田城』


▲真田氏が統治した信州『松代』には「真田秘宝館」があります


▲真田丸のすぐ南には『鶴橋』の街があります。合わせてお楽しみになられると良いかと存じます。

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▲信長の足跡についてはコチラをご参照ください


▲豊臣秀吉の足跡についてはコチラをご参照ください


▲徳川家康の足跡についてはコチラをご参照ください


▲関ケ原の合戦を知るためにはココがオススメ!


▲徳川の大軍勢を2度も防いだ真田の城『上田城』


▲真田氏が統治した信州『松代』には「真田秘宝館」があります


▲大阪城の南側の守りの要『真田丸』についてはコチラ


▲信玄の城『小諸城』は現在美しい公園『懐古園』になっています


▲信州の城といえば『松本城』も素晴らしい


▲世界遺産・国宝『姫路城』


▲加賀百万石の城『金沢城』


▲徳川家康公の出征の地『岡崎城』


▲徳川家康の人生を歩く歴史旅


▲豊臣秀吉の城下町『長浜』


▲戦国の要衝『小田原城』


▲静岡の街散策『駿府城』


▲伊賀上野の要塞『上野城』


▲天下の名城『彦根城』


▲忠臣蔵の赤穂浪士の故郷『赤穂城』


▲浅井長政と浅井三姉妹と長政の城『小谷城』


▲清州会議で有名な『清州城』

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