豊臣の盛衰と浅井三姉妹の物語 ― 豊国神社・養源院・大仏餅を巡る


6988f170-59fc-4e33-89a0-e8e2493bcf80

前夜、大阪の先輩宅で視聴した大河ドラマ
「豊臣兄弟!」これが面白かった!


(ちょうど墨俣一夜城🏯の前日譚
秀吉の一夜城築城に力を貸した
蜂須賀小六兄弟和解のシーンに

感動しました😿)

その余韻のまま

ツーリング3日目最終日は先輩とともに
『豊臣秀吉縁の
 京都・豊国神社周辺へ行こう‼️』
ということとあいなりました❗️

この地は豊臣秀吉の威光を示した
巨大大仏の跡地であり、 織田・豊臣・徳川
三英傑それぞれとかかわりの深い
浅井家と浅井三姉妹の歴史が交差する場所

今は、静かな神社仏閣と町並みが広がる
東山の一角です。
戦国の権力、血縁、そして祈り。 

その重なりと彼らの数奇な人生を辿る旅です



▲「三十三間堂」、「養源院」、「清水寺」と京都で観るべき観光地の集まる場所です


FullSizeRender
三十三間堂の壁は『太閤壁』と呼ばれています



▲豊臣秀吉の出身地名古屋・中村にも豊国神社があります


▲豊臣秀吉が初めて持った居城「長浜城」がある長浜にも豊国神社があります。



IMG_2545

目次




タイトルなし


にほんブログ村 バイクブログ バイク旅へ
にほんブログ村
👆いまこのブログは全国で何位?
クリックで確認!

豊国神社と豊臣の巨大大仏

IMG_2361
豊国神社



京都にかつて巨大大仏が
あったことをご存じでしょうか

ここ豊国神社は豊臣秀吉を祀る神社ですが、
 この地はかつて秀吉が建立した「方広寺大仏」の跡地でもあります
ef3b0e76

天下人となった秀吉は、 

自らの威光を示す象徴として
巨大な大仏を建立しました


建立:1586年頃着工
完成:1595年
名称:盧舎那仏(るしゃなぶつ)
高さ:約19m(奈良の大仏とほぼ同じ)

秀吉は奈良の
東大寺の大仏に対抗する形で、
京都にも巨大国家寺院を作ろうとしたのです
その規模は奈良の大仏にも匹敵するといわれ、 
京都の新たな中心を築こうとした意志が感じられます。
しかし豊臣秀吉 は1598年9月18日(慶長3年8月18日)
伏見城にて数えで62歳で死去しました

五大老五奉行という集団指導体制を作っての死去でしたが
この体制は長く持たず1600年天下分け目の

関ヶ原の戦いが勃発します



その後1603年徳川幕府樹立されたのち

ここ方広寺の鐘に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」の文字が
豊臣家を滅亡へと誘います


title-1701048837752

これを徳川家康が
「家康の名前を分断して呪っている」
と難癖をつけました。
これがきっかけとなり豊臣家滅亡へと向かう
『大坂の陣』へ発展したのであります
つまりこの京都の大仏が原因で
豊臣家は滅亡したとも言われているのです

 豊臣家滅亡後、その威光は歴史の中へと

消えていきました。




▲周辺の案内はコチラをご参照ください


▲名古屋にも豊臣秀吉の出生地中村に『豊国神社』があります


▲浅井長政の城小谷城から秀吉の代に城は長浜に移されました
長浜にも『豊国神社』があります



太閤石と石垣に見る土木技術

境内周辺には「太閤石」と呼ばれる巨石が残されています。

5dd8cbcc

巨大な石を積み上げた石垣は、
豊臣期の土木技術の高さを今に伝えています。



▲このあたりで石垣を観ることができます


IMG_2358


昔の方広寺と大仏殿の地図

方広寺の敷地はとても広く
当時は『三十三間堂』『養源院』『豊国神社』
『京都国立博物館』のエリアも境内の一部
となっていました

単なる宗教施設ではなく
権力の象徴としての都市計画でした


その一端を、この石垣から感じることができます。

歴史遺構は静かにその事実を物語ります。

そこには確かに、天下人の時代が刻まれています。


▲近くには清水寺もあります


浅井長政とお市の方

この地を語るうえで欠かせないのが、
浅井長政とその妻お市の方
そしてその娘たち浅井三姉妹です

織田信長の妹お市の方と長政は

政略結婚ではありましたが
二人の仲は睦まじかったと
伝えられています

そうして長政は信長と同盟を結びましたが、
やがて朝倉氏とも仲の良かった浅井家は
朝倉氏との同盟を重視したため
信長と対立し、浅井家は滅びます。

しかしその血脈は、

三人の娘『浅井三姉妹』によって
歴史の中心へと受け継がれました。


▲浅井長政の居城『小谷城』についての詳細はコチラ


浅井三姉妹 ― 茶々・初・江

IMG_2398
浅井三姉妹の
長女・茶々(淀殿)は豊臣秀吉の側室
となり、
豊臣秀頼を産みます。


次女・初(常高院)は京極高次に嫁ぎ、
豊臣と徳川の間を取り持つ調停役として奔走
しました。

関ヶ原や大坂の陣という激動の時代に、
三姉妹の間を繋いだ存在でもあります。


三女・江は徳川秀忠の正室となり、
三代将軍徳川家光を生みました。

豊臣と徳川
二つの天下の中枢に、浅井と織田の血が流れている。
戦国史の皮肉であり、面白さでもあります。



▲小谷城周辺では浅井氏の歴史が感じられます



▲浅井長政の居城小谷城周辺には

大河ドラマ館がございます


▲浅井家が信仰した竹生島はパワースポットです



養源院の建立と再建

IMG_2357
養源院(浅井長政の戒名)

当初豊臣秀吉により建立された養源院ですが徳川の家紋

『三つ葉葵』が掲げられています。

養源院は、茶々(淀殿)が
父・浅井長政の菩提を弔うため、
豊臣秀吉に願い出て建立した寺院
でした。


しかし雷火で焼失。


その後、再建したのが三女・江。
2代将軍徳川秀忠の正妻であり

徳川家光の母です。
豊臣の作った寺を徳川が立て直した
のです。

再建の名目は
伏見城の戦いで亡くなった鳥居元忠ら

徳川方の武将を慰霊するため。



豊臣の寺を徳川が再建する。
そこには権力の交代と、
歴史の折り合いが見え隠れします。

伏見城の遺構が使われており
たった1,800人で4万人の

西軍 石田三成の軍勢を
12日間も留めたのち自刃した
鳥居元忠らの血天井も観られます。


この鳥居元忠らの働きで関ケ原が
東軍に有利になったと言われていますね。


▲養源院についてはコチラ 俵屋宗達の作品を目の前で観ることがきますよ!


甘春堂の大仏餅

IMG_2360
甘春堂
IMG_2359

歴史散策のあとは、
近くの甘春堂で今は亡き大仏様をしのぶ

「大仏餅」をいただきました。

ブラタモリでもタモリさんがここを訪れ

楽しまれた逸品です。

a3d3b7cf

柔らかな餅に上品な餡。
かつてこの地にそびえた

巨大大仏を思いながらいただくと、

甘味もまた歴史の一部のように感じられます。


IMG_2381

妻の人への和菓子も購入。

 旅の記憶を持ち帰ります。

さ、そろそろ名古屋へともどりましょう

巨大大仏。 太閤石。 浅井三姉妹。

権力と祈り、血縁と政治。
京都東山は

戦国の縮図のような場所なのであります
IMG_2355











▲信長の足跡についてはコチラをご参照ください


▲豊臣秀吉の足跡についてはコチラをご参照ください


▲徳川家康の足跡についてはコチラをご参照ください


▲関ケ原の合戦を知るためにはココがオススメ!


▲徳川の大軍勢を2度も防いだ真田の城『上田城』


▲真田氏が統治した信州『松代』には「真田秘宝館」があります


▲大阪城の南側の守りの要『真田丸』についてはコチラ


▲信玄の城『小諸城』は現在美しい公園『懐古園』になっています


▲信州の城といえば『松本城』も素晴らしい


▲世界遺産・国宝『姫路城』


▲加賀百万石の城『金沢城』


▲徳川家康公の出征の地『岡崎城』


▲徳川家康の人生を歩く歴史旅


▲豊臣秀吉の城下町『長浜』


▲戦国の要衝『小田原城』


▲静岡の街散策『駿府城』


▲伊賀上野の要塞『上野城』


▲天下の名城『彦根城』


▲忠臣蔵の赤穂浪士の故郷『赤穂城』


▲浅井長政と浅井三姉妹と長政の城『小谷城』


▲清州会議で有名な『清州城』


にほんブログ村 バイクブログ バイク旅へ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村 釣りブログ 東海釣行記へにほんブログ村 バイクブログ バイク旅へ
👆いつも押してくださる方
ありがとうございます!
応援感謝です!励みになります
記事がお楽しみいただけたり
お役にたてましたら
押していただけると嬉しいです



👆ヒストリービュー過去の同一時期の記事を一覧できます