豊臣の盛衰と浅井三姉妹の物語 ― 豊国神社・養源院・大仏餅を巡る

前夜、大阪の先輩宅で視聴した大河ドラマ
「豊臣兄弟!」これが面白かった!
(ちょうど墨俣一夜城🏯の前日譚
秀吉の一夜城築城に力を貸した
蜂須賀小六兄弟和解のシーンに
感動しました😿)
その余韻のまま
『豊臣秀吉縁の
京都・豊国神社周辺へ行こう‼️』
ということとあいなりました❗️
この地は豊臣秀吉の威光を示した
巨大大仏の跡地であり、 織田・豊臣・徳川
三英傑それぞれとかかわりの深い
浅井家と浅井三姉妹の歴史が交差する場所
今は、静かな神社仏閣と町並みが広がる
東山の一角です。
戦国の権力、血縁、そして祈り。
その重なりと彼らの数奇な人生を辿る旅です
▲「三十三間堂」、「養源院」、「清水寺」と京都で観るべき観光地の集まる場所です

三十三間堂の壁は『太閤壁』と呼ばれています
▲豊臣秀吉の出身地名古屋・中村にも豊国神社があります
▲豊臣秀吉が初めて持った居城「長浜城」がある長浜にも豊国神社があります。

目次

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豊国神社と豊臣の巨大大仏

豊国神社
京都にかつて巨大大仏が
あったことをご存じでしょうか
ここ豊国神社は豊臣秀吉を祀る神社ですが、
この地はかつて秀吉が建立した「方広寺大仏」の跡地でもあります

天下人となった秀吉は、
自らの威光を示す象徴として巨大な大仏を建立しました
建立:1586年頃着工
完成:1595年
名称:盧舎那仏(るしゃなぶつ)
高さ:約19m(奈良の大仏とほぼ同じ)
秀吉は奈良の
東大寺の大仏に対抗する形で、
京都にも巨大国家寺院を作ろうとしたのです
その規模は奈良の大仏にも匹敵するといわれ、
京都の新たな中心を築こうとした意志が感じられます。
しかし豊臣秀吉 は1598年9月18日(慶長3年8月18日)
伏見城にて数えで62歳で死去しました
五大老五奉行という集団指導体制を作っての死去でしたが
この体制は長く持たず1600年天下分け目の
関ヶ原の戦いが勃発します
その後1603年徳川幕府樹立されたのち
豊臣家を滅亡へと誘います

これを徳川家康が
「家康の名前を分断して呪っている」
と難癖をつけました。
これがきっかけとなり豊臣家滅亡へと向かう
『大坂の陣』へ発展したのであります
つまりこの京都の大仏が原因で
豊臣家は滅亡したとも言われているのです
豊臣家滅亡後、その威光は歴史の中へと
消えていきました。
▲周辺の案内はコチラをご参照ください
▲名古屋にも豊臣秀吉の出生地中村に『豊国神社』があります
▲浅井長政の城小谷城から秀吉の代に城は長浜に移されました
長浜にも『豊国神社』があります
太閤石と石垣に見る土木技術
境内周辺には「太閤石」と呼ばれる巨石が残されています。

巨大な石を積み上げた石垣は、
豊臣期の土木技術の高さを今に伝えています。
▲このあたりで石垣を観ることができます
昔の方広寺と大仏殿の地図
方広寺の敷地はとても広く
当時は『三十三間堂』『養源院』『豊国神社』
『京都国立博物館』のエリアも境内の一部
となっていました
単なる宗教施設ではなく
権力の象徴としての都市計画でした
その一端を、この石垣から感じることができます。
歴史遺構は静かにその事実を物語ります。
そこには確かに、天下人の時代が刻まれています。
▲近くには清水寺もあります
浅井長政とお市の方
この地を語るうえで欠かせないのが、
浅井長政とその妻お市の方
そしてその娘たち浅井三姉妹です
織田信長の妹お市の方と長政は
政略結婚ではありましたが
二人の仲は睦まじかったと
伝えられています
そうして長政は信長と同盟を結びましたが、
やがて朝倉氏とも仲の良かった浅井家は
朝倉氏との同盟を重視したため
信長と対立し、浅井家は滅びます。
しかしその血脈は、
三人の娘『浅井三姉妹』によって
歴史の中心へと受け継がれました。
▲浅井長政の居城『小谷城』についての詳細はコチラ
浅井三姉妹 ― 茶々・初・江

浅井三姉妹の
長女・茶々(淀殿)は豊臣秀吉の側室となり、
豊臣秀頼を産みます。
次女・初(常高院)は京極高次に嫁ぎ、
豊臣と徳川の間を取り持つ調停役として奔走しました。
関ヶ原や大坂の陣という激動の時代に、
三姉妹の間を繋いだ存在でもあります。
三女・江は徳川秀忠の正室となり、
三代将軍徳川家光を生みました。
豊臣と徳川
二つの天下の中枢に、浅井と織田の血が流れている。
戦国史の皮肉であり、面白さでもあります。
▲小谷城周辺では浅井氏の歴史が感じられます
▲浅井長政の居城小谷城周辺には
大河ドラマ館がございます
▲浅井家が信仰した竹生島はパワースポットです
養源院の建立と再建

養源院(浅井長政の戒名)
当初豊臣秀吉により建立された養源院ですが徳川の家紋
『三つ葉葵』が掲げられています。
養源院は、茶々(淀殿)が
父・浅井長政の菩提を弔うため、
豊臣秀吉に願い出て建立した寺院でした。
しかし雷火で焼失。
その後、再建したのが三女・江。
2代将軍徳川秀忠の正妻であり
徳川家光の母です。
豊臣の作った寺を徳川が立て直したのです。
再建の名目は
伏見城の戦いで亡くなった鳥居元忠ら
徳川方の武将を慰霊するため。
豊臣の寺を徳川が再建する。
そこには権力の交代と、
歴史の折り合いが見え隠れします。
伏見城の遺構が使われており
たった1,800人で4万人の
西軍 石田三成の軍勢を
12日間も留めたのち自刃した
鳥居元忠らの血天井も観られます。
この鳥居元忠らの働きで関ケ原が
東軍に有利になったと言われていますね。
▲養源院についてはコチラ 俵屋宗達の作品を目の前で観ることがきますよ!
甘春堂の大仏餅

甘春堂

歴史散策のあとは、
近くの甘春堂で今は亡き大仏様をしのぶ
ブラタモリでもタモリさんがここを訪れ
楽しまれた逸品です。
甘味もまた歴史の一部のように感じられます。

妻の人への和菓子も購入。
旅の記憶を持ち帰ります。さ、そろそろ名古屋へともどりましょう
巨大大仏。 太閤石。 浅井三姉妹。
権力と祈り、血縁と政治。
京都東山は

▲信長の足跡についてはコチラをご参照ください
▲豊臣秀吉の足跡についてはコチラをご参照ください
▲徳川家康の足跡についてはコチラをご参照ください
▲関ケ原の合戦を知るためにはココがオススメ!
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