1 浅井長政の菩提寺であり伏見城で討ち死にした徳川武将を鎮魂する『養源院』



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(写真:浅井長政の菩提と伏見城で討ち死にした徳川方の武将を鎮魂する『養源院』)

『養源院』
京都洛東
三十三間堂のすぐ
東隣にある寺院
です

織田信長の妹お市方と
浅井長政との間に生まれた
浅井(あざい)三姉妹
長女「茶々」
豊臣秀吉に頼んで建立

焼失後
2代将軍徳川秀忠の正室
浅井三姉妹の
三女「江」が再建
した
という数奇な運命を
たどってきた
寺院でもあります

(画像はクリックで拡大できます)

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 2 風神雷神図屏風を生んだ『俵屋宗達』初期の作品が観られます

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三十三間堂

そのすぐ東隣にあるのが
『養源院』です

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関ケ原の合戦の前哨戦
『伏見の戦い』
『桃山城』
討ち死にした
徳川方の家臣
『鳥居元忠』らの
切腹後の血が染み込んだ
血天井
掲げられています



それらの人々を
鎮魂するとともに
訪れた人を迎え
送り出す
ことを
目的として制作された

あの風神雷神図屏風を
この世に生み出した
『俵屋宗達』
初期の作品である
杉戸絵と襖絵
見られる寺院であります


👆伏見城についてはコチラをご覧ください
(関ヶ原の合戦の前哨戦『伏見城の戦』の場とは若干場所が異なります)


👆関ケ原の合戦を学ぶにはココがオススメ!



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では参りましょう



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お参りする前に
浅井三姉妹ら浅井家に
代々信仰されていた

『弁財天様』にも
ご挨拶されると
よろしいかと思います

弁天様は境内入って
右側に祀られており
蛇神様も祀られています


👆前回の訪問時記録



👆美しい竹生島へのクルーズについてはこちらをご参照ください


👆北近江の大名浅井長政らが信仰していた日本三大弁財天・竹生島についてはこちら





 3 本堂入口では『唐獅子』が我々を迎えます




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本堂に入りますと
我々の目の前に
俵屋宗達の作品

『唐獅子』
杉戸絵が現れます

左側の獅子は
木の上から飛び降りた
ところでしょうか
動きのある絵ですね‼️

その目は
『八方睨みの目』

と呼ばれ
どこに立っていても
観ている人を
睨んでいるように見えます

右側の扉を左に開けると
右側の獅子が左にピョンと
移動したかのように見え
睨みを利かす左の獅子は
その扉に隠れ
さらに扉の向こう側
遠方の廊下の突き当りにいる
大きな『白象』

目に飛び込んでまいります




 4 計算されつくした宗達の『白象』と『麒麟』


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廊下の突き当りにある
『白象』


宗達は入口の扉を開けた人が
まず目にする廊下奥の

「白象」を扉に目いっぱい
大きく描いた
んですね!

宗達は実際に
象を観たことはないため
想像で像を描いたそうです

真っ白な顔料
(貝を砕いたもの)で
扉いっぱいに
描かれており
背中には三本の皺のみ

そして体の下に
皺を多く集めた
動きのある絵に
なっています

帰りに振り返ると
左側の白象が

『今日はようこそお参りくださいました』

と頭を下げているように見えるのも
宗達の計算なのだとか


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さらに足を廊下に踏み入れ
扉を閉めて振り返りますと
大小2つの波の間に
想像上の動物『麒麟』
扉に描かれています

これまた想像上の動物
『鳳凰』が『鳳』と『凰』で
雌雄つがいであるように
『麒麟』も『麒』と『麟』で
つがいの動物だったのだそうです

寺でのお参りを終え
この扉を左から右に開けると
まるで右側の『麟』が
波に飛び込むような
動きに見える
のだとか







 5 『伏見城の戦い』で散った鳥居元忠らの霊を慰める寺でもある


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『牡丹の間』

先述のとおり
織田信長の妹お市方と
浅井長政との間に生まれた
浅井(あざい)三姉妹の
長女「茶々」

豊臣秀吉の側室となり
父長政の菩提を弔うために
秀吉に頼んでこの寺は
建立されました

しかしすぐに火災で焼失して
しまいます

焼失後 代将軍徳川秀忠の
正室となった三姉妹の三女
「お江」
が夫秀忠に
再建を願い出ますが

関ヶ原の戦いで
敵同士だった
豊臣が建立した寺を
再建するということには
抵抗がありました

そこで関ヶ原の
前哨戦とも言える
『伏見城の戦い』
散った鳥居元忠
家康の家臣たちの
鎮魂のための寺として
伏見城の床板を
天井に上げて
『血天井』として
寺を再建したのだそう

二条城などでは
徳川のメインの
芸術家であった
狩野派の絵が
使われていますが


当時売り出し中の
新進気鋭の画家
俵屋宗達
指名されたのも
そんな背景が
あったからでは
無いでしょうか

まさに戦国の世から
太平の世に繋がる際
織田・豊臣・徳川
それぞれと
深い関係を持った
数奇な運命を背負った
寺院
でもあるのです

そう思って
この寺院を訪れると
また違った面白みも
感じられると
思います

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『あ〜!面白かった!!』





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