1 加賀百万石の居城は見どころ満点

旧百間堀に掛けられた橋を渡って
「兼六園」から『金沢城公園』へと向かいます
現在はお堀りはなくなり
幹線道路となっています通り)を隔てて
橋一本でつながっている「金沢城公園」へと
向かいます

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2 現代の表玄関となる重厚な「石川門」
金沢城は江戸時代
加賀藩主前田氏の居城でありました
城址は国の史跡に指定されています

緑豊かな
城址を含む一帯は
金沢城公園として
整備されています

兼六園方面からまた金沢城跡

国宝 石川門(重要文化財)
金沢城公園の表門として
市民に親しまれていますが
かつては城の裏門でした
その容姿から白門と
呼ばれています
以前はこの中に金沢大学が
ありましたが
今は金沢城公園と
なっています
城の中に大学があったのは
駿府城跡の静岡大学と
同じですね

石川門の立派な門扉

いまは公園が整備され
石川門を入ると正面に見えるのは
五十間長屋
菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ
多門櫓(たもんやぐら)
武器等を保管する
倉庫として使用されていました
非常時には城壁の役目も
兼ね備えています
3 歴史に裏付けられたスケール

その昔、受験で訪れたときとは
大きく様変わりした城内に驚かされました

北側の守りを固める石垣

五十間長屋を近くで見ると
迫力満点であります

そのスケールの大きさに圧倒されます

隣の「兼六園」と同じく
大きく育った樹木がさらに
スケールの大きさに
拍車をかけます
歴史を感じますねぇ。。

五十間長屋以外は無料の公園ですので
金沢市民の憩いの場となっています

石垣の下から望む
これは登れないわ。。

旧本丸跡
寛永8(1631)年の火災の後
二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へ
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失
その後の再建では、実用性を重んじ、
二の丸を中心とした整備が行われ、
本丸の櫓は再建さず今に至ります
4 現代に蘇った木造建築『五十間長屋』

三十間長屋
本丸附段にある2層2階の多聞櫓で
石川門と同様に重要文化財に指定されています
安政5年(1858)に築造され現在の長さは26間半となっています

五十間長屋へ参ります

ここは有料の施設となります

内部では、木組みの工法をそのまま見学することができます
日本古来の木造軸組工法と呼ばれる方法と
柱と柱を繋ぐ横木を組み合わせた耐力壁によって
構成され 釘やボルトを1本も使っていないにも関わらず
耐震性にも優れています

石垣を登ってくる外敵に石を落とす場所

大変な労力と予算を使った再建だったことが偲ばれます

太い梁
現代の建築基準法に合わせるため
当時より太い材を使用しているところもあるとのこと


火矢などがかけられても
燃えないような仕組みが
屋根に施されています
5 「色紙短冊積石垣」は美を追求した石垣

玉泉院丸庭園にある「色紙短冊積石垣」は
様々な形をした石を組んだ意匠となっています
通常石は横に置いた方が安定するに決まっているのですが
美しいデザインを重視して
縦に組み上げられた石垣となっています「ブラタモリ」でも放映されました

旧第六旅団司令部
明治31年に建てられた木造平家建ての建物です
当時は、陸軍本省が各師団建物の設計をしていたため
全国に同様の建物が建てられました
金沢大学時代教育開放センターとして利用されていました

鼠多門
金沢城の西側にある門です
黒い海鼠漆喰が特徴
明治期の焼失以来136年ぶりに
往時の姿で復元されました

こちらも立派な梁であります

鼠多門と金谷出丸を結んでいた「鼠多門橋」も
往時と同じ位置に143年ぶりに再現され
その先には。。。

「尾山神社」があります

江戸時代後期から明治時代初期に流行した
藩祖を祀った神社のひとつです
主祭神は加賀藩の藩祖前田利家と妻の芳春院(まつ)
神門は重要文化財に指定されています
『あ~!楽しかった!!』
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